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「自分に自信がなかった人」が「自分に自信がない人」に向けて発信します。 ■就活■自分探しではなく、自分づくり■心理学/教育■おすすめ本紹介 4月から働きます。

僕は嫌だ。学習性無力感にまみれる人生

学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感、獲得された無力感、学習性無気力がある。
___ wikipediaより参照

学習性無力感」という言葉を聞いたことは、あるだろうか。僕が初めてこの言葉を知ったのは、大学1年生の心理学の講義であった。その時は、自分や周囲の人々とは関係のないことのようにとらえていた。

正解のない意思決定

それから2年がたち、留学を終えて就職活動を始めた僕は、この「学習性無力感」に似た感情を抱え過ごす日々を送るようになる。

「これが、学習性無力感っていうやつなのかな」
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就職活動をする中で、自分の将来の方向性を定められなくなったのである。
それまでのライフイベントでは、大方「正解」といえる人生選択をしてきた。迷うことなく「正解」を勝ち取るために、「苦しい努力」をしてきた。そして、「苦しい努力」の成果にそれなりに満足をしてきたのである。
でも、大学生活を送る中で、大切なことに気づくことができた。
それは、

納得のいく人生は、「正解」を探し、求める姿勢からは得られない
自分を知り、自分の気持ちと向き合い、意思を尊重する意思決定をする

それこそが、幸せを保証する。

これは、
「わかっちゃいるけど、難しいこと」
「だけど、幸せな人生を送るためには、無視しては通れないこと」
であると感じている。少し時間がかかるかもしれないが、しっかりと考える必要がある、と強く思った。
それまでの人生選択と違うところは、「意思決定にマニュアル(お手本ともいうべきか)がないこと」である。選択に正解も不正解もない。自分が納得するか、だけである。その中で、適切に仮説検証や修正をすることが難しい。だからこそ、「生きている」感覚がするのだが。
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それまで、「正解のない意思決定」をしたことがない人間であった僕は、「どうすれば、自分は満足なのか」が分からなくなった。そんな日々が続くうちに「学習性無力感」に似た感情を抱えるようになるのである。

皆、「学習性無力感」を感じている

ほとんどの大人はこの「学習性無力感」を抱えて生きてきた。
「そんなことはない。家族もいるし、仕事も充実しているし、『それなりに』満足している。」という人もいるかもしれない。でも、その「それなり」は、若いころの自分が思い描いていたものであるだろうか。学習性無力感というものは、実感することが難しい感情である。なぜなら、「悩むことを諦め、受け入れたから」である。
「自分の好きなように生きるなんて、綺麗ごとだ。理想に過ぎない」と言う大人が多いのは、学習性無力感の結果かもしれない。

学校や資格の勉強は、カリキュラムや道しるべがある。そして、人間は迷ったときにわかりやすいものにすがりたくなるものだと思う。他人の意見や言葉の受け売りで人生を決める。いつの間にか「それなり」の人生こそが「あるべき」人生であるかのように錯覚する。

自分の幸せは自分で決めるもの

僕が就職活動をしているとき、同じ就活生のなかにこのような質問をしている人がいた。

TOEICは何点取っていれば、良いと思いますか?」
「~したほうが良いですか?~はするべきでしょうか?」

これは、手段を目的と勘違いしている典型的な例だと思う。
自分の目標を達成するための手段として、アドバイスを乞うのは大切だ。しかし、「良い」か「悪い」かは、自分の目標と照らし合わせて判断・評価できるものだと思う。
このような人は、「人生の目標」「核となる自分」を持ってないのではないか。だとしたら、本当に幸せな人生は送れるのだろうか?
「『人生の目標』『核となる自分』を見つけることこそが、幸せだ」というのは、価値観の押し付けであるし、それ以外の幸福観もあると思う。


それでも、僕は目的、意義のある人生を送りたい。
だからこそ、難しく・苦しいものだとわかっていても、

・納得のいく人生は、「正解」を探し、求める姿勢からは得られない
・自分を知り、自分の気持ちと向き合い、意思を尊重する意思決定をする

を時間をとって実践する必要があるのではないか。

レールを外れて、自分の人生を模索し、切り開く決断をすることは、正直怖い。そのような覚悟を伴う決断をすることでしか、納得のいく人生は得られないのではないか。(サンクコストのバイアスはあるかもしれないが)

「自分の好きなように生きるなんて、綺麗ごとだ。理想に過ぎない」

そのように説教する大人の言葉を信じて、苦行に耐えても、幸せな人生は保証してくれない。
一歩を踏み出すなら若いうちにこしたことはないと思う。

学習性無力感に陥る前に。




生意気なこの文章を読んで、何か感じることがあれば幸いです。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


ロハスごりら