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「自分に自信がなかった人」が「自分に自信がない人」に向けて発信します。 ■就活■自分探しではなく、自分づくり■心理学/教育■おすすめ本紹介 4月から働きます。

「学歴」って何だろう。

穏やかな春の陽気の3月某日。花粉症の自分にとっては、ティッシュペーパーが手放せない日であるが、春の訪れを実感し、物思いにふけていた。
その時、緊張した面持ちの少年と両親が目に入った。「頑張りなさい」の表情で少年の背中を押していた。

「今日は、高校受験か。懐かしいな。頑張ってもらいたいな。」

顔見知りでもなんでもないが、そのような気持ちになった。
僕も、10年近く前に高校受験を経験している。あの頃は、受験に失敗したら、人生は終わりだと本当に心の底から思っていた。高校受験も大学受験も死に物狂いで勉強した。頭も要領も良くない僕は多分いっぱいいっぱいだったんだろうな、と振り返り、できることであれば、「そんなことで、人生は終わらないよ。いくらでもやり直しはきくよ。」と教えてあげたい気持ちにもなった。

とはいえ、多くの人にとって高校受験は、自分の進路を自分の力で決める最初のライフイベントだ。それは、人生の方向性を決めるものである。
難関大学を目指す子は、いわゆる進学校を受験する。なぜなら、人はそこまで強くないからだ。周りの友人の価値観・考え方・生活に多くの影響を受け、時には流されるものだ。そこでつまずき、「レールの先」にある人生をうまく描けずに終わる人だっている。そのような強烈な不安を抱えているからこそ、頑張れるのだ。
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(多くの人にとってではあるが)あれだけ苦痛であった、受験勉強を頑張れたのであれば、好きなことや打ち込めることなんて見つけたら、頑張るどころではない気迫で取り組めそうである。しかし、残念ながら、そのような世の中にはなっていない。
少なくとも、2019年時点では。

大多数の大人は、「安定した」人生と引き換えに、「人生のテーマ」をどこかに置きっぱなしにしてしまう。最大公約数的な選択を積み重ねた人生に満足を感じるようになる。
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話が逸れてしまった。
「学歴」を得ることが目的化してしまっていることが拭えないが、それでも「受験勉強」を肯定的に受け止めている。理由は、受験勉強は最も身近でフェアな「努力を評価」する戦いだからである。
多くの人間は凡人である。もしかしたら、キラリと光る才能の原石みたいなものをもっているのかもしれないが、磨かれず、輝くことなく、消えていく。皆が憧れるアスリートや天才は、確かに才能があった。しかも努力をした。自分の好きなことを深める努力もしたし、打ち込めることを探すために、いろいろなことにチャレンジしたかもしれない。しかし、チャレンジの回数は努力で増やせても、結局のところ才能を活かせる分野を見つけることは運に左右されることが多い。一方で、「勉強」は違う。皆にとって、身近で、工夫と努力を積み重ねれば、かなりの確率でそれなりのところへいける。(だからこそ、レッドオーシャンなのかもしれないが)
何者かになろうと自分探しをすることもたまには良いが、自分にできることを着実に積み上げてきた人をしっかりと評価する社会こそが、健全な社会だ。いわゆる「エリート」やかっこいい社会人は、「秀才」や「努力家」に含まれるような気がする。数少ない「天才」を「エリート」や「秀才」が支える構図が良い社会を形作るうえで大切になってくる。

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それを踏まえて、1つの本を紹介したい。「検証・学歴の効用」という本がある。一時期の行き過ぎた「受験教育」と「学歴社会」(他国に比べたら、日本はそこまで「学歴社会」ではない。)に対する不満が、停滞する社会経済と相まって、多くの論争を呼んだ。「学歴」に対する評価が低下する現代社会に対して、バランスの取れた客観的な視点から「大卒者(院卒も含む)」の意義を改めて説明している。ぜひ、時間があれば一読していただきたい。

学び続けるスタンスこそが大事

「検証・学歴の効用」で、大卒者は、読書などから社会人としての成長の機会を得る傾向が強く見られた。おそらく、受験勉強などを通して、自分自身の「学びのスタイル」を確立できているのではないか。困難にぶつかっても、しっかりと学べば、成長し、困難を乗り越えられる人材になっているのだと思う。これは、先ほど述べた通り、健全な努力を評価する受験勉強の良い面が影響しているのではないか。いつか、これに関連する根拠や研究を見つけて証明出来たら、と思っている。

しかし、一方で懸念材料も多い。過去のnoteでも記述したが、一部の学生がそれほど努力をすることなく、大学へ入学してしていることも事実だ。大卒者の資質の特徴であるはずの、「努力できること」と「学ぶスタンスを持っている」特徴が保証されなくなってきている。(昔の大卒者も、組織人となってしまってからは、自主的に学ぶことが多くないという指摘もあるが、、)

このような「なんちゃって大学生」は一定数存在する。だからこそ、あえて断言したい。

「学歴ではなく、学び続けるスタンスが大切だ。」

当たり前に聞こえるかもしれないが、改めてそう思った。これからの時代は、資格や肩書ではなく、経験からくる生きた知識と実績に価値が置かれてくる。世の中で活躍している人は、非大卒の人が多い。だからこそ、「学歴」や「大卒・非大卒」という区別ではなく、謙虚に学び続ける人か否かが重要だなと感じた。ながながと書きましたが、戒めに、しっかりと記録を残しておきます。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


ロハスごりら