LOHAS

「自分に自信がなかった人」が「自分に自信がない人」に向けて発信します。 ■就活■自分探しではなく、自分づくり■心理学/教育■おすすめ本紹介 4月から働きます。

「大学」という場所で気づいたこと

4年(人によっては5,6年)という、「比較的自由度が高い大学生活をどのように有効活用するか」ということは、大学というものが存在する限り、永遠に存在するテーマであろう。実質高校までが義務教育であるという状況で、高校生活までは、主に教師、時には、周りの友人との関係において、管理されることが多い学校生活を過ごす。そのような、生活を10年以上経験した後、半数近くの若者は大学進学をする。そこで、それまで経験したことのない「自由」を手にするのである。必修科目以外は、出席を強制されない授業、窮屈さが全くないクラスルーム、一人でご飯を食べても違和感のない食堂。そして、新入生にとっては憧れである「サークル活動」。(一部の人にとっては、大学生活=サークル活動だったという人もいる。)体育会などの活動に参加しない限り、多くの学生がこのような活動を経験していく。そこで、しばらく自由を謳歌するのである。

そして、一部の人は気づくのである。

「なんのために大学に来たんだろう。」

進学校と呼ばれる高校に通っていた生徒の多くは、自分の人生について深く考えることをせず、大学進学という選択を選ぶ。「なんで、大学に行って勉強するの?」と聞かれれば、多くの人は「行っておいて、損はしないから。」「いいシゴトにつけるから。」

そもそも、「いいシゴト」って?
それってお給料で判断してる?
人によっていいシゴトは違うんじゃない?

とはいえ、僕自身も進学当初はそんなことをフンワリと考えていたので、偉そうなことは言えない。
事実、多くの若者が親に学費や下宿日を支払ってもらっている。「学ぶ」ということがどれほどお金がかかり、ぜいたくで、尊いものなのか考えて進学した若者はほんの一部だろう。
それは、仕方がないことだ。周りの大人がその選択を勧める。そして、なにより限られた大人との触れ合いの中で育ち、画一的な教育を受けてきたので、子供の中に様々な価値判断の基準が育まれない。自分自身の考え方に疑問を持つ機会が圧倒的に少ないのだ。
「大学に進学することは良いことなんだ。」と。
先ほど述べたが、本当に、大学に進学をすることは「損をしない」のか?

10代後半から20代前半の青年期は非常に多感で貴重だ。自分の好きなことに夢中になり、自分を見つめなおす絶好の時期だ。まっさらな状態で社会に出て働くと、組織や社会に為されるがままに染まってしまう。学校という場所で必ずしも好きなことを一生懸命できたわけではない人が多い。だからこそ、改めて「自分をつくる」のである。(自分探しではない。)

もちろん大学生はすごく「お得」だ。なぜなら、「すごい大人」や「かっこいい社会人」に大学生という肩書きだけで会えるのだから。

しかし、もう一度考えてほしい。

家計に余裕があれば、海外に飛び出しても良い。大切なことは「様々な選択肢を踏まえて、大学進学がベストであるから、大学で勉強をする。」ということである。
大学生活は何かに夢中になったり、楽しめば短く、あっという間だ。
でも、チャレンジせず、興味を持てない授業を受け、何となく過ごすには、長すぎる。

ここまで僕が強調する理由は、僕自身がこの罠にはまったからである。
「絶対入りたいゼミ」があり、それに向かって必死に受験勉強をした。晴れて大学に進学するも、希望のゼミで学ぶことが出来なかった。
なぜなら、そのゼミは、学部内屈指の人気ゼミであったからである。
唯一の進学理由がなくなり、途方にくれた。しかし、希望のゼミに落ち、やけくそになる中で、気づいたことがある。

長くなりそうなので、とりあえずここまで。
「大学生活で気づいた大切なこと」は、ゼミに落ちたことにより気づけたと思っている。次回はそのことについて掘り下げて書きたい。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

ロハスごりら