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「自分に自信がなかった人」が「自分に自信がない人」に向けて発信します。 ■就活■自分探しではなく、自分づくり■心理学/教育■おすすめ本紹介 4月から働きます。

「成長」できる人ってどんな人?

世の中にはいろんな人がいる。明るい人。思慮深い人。ユーモアたっぷりの人。

みんな違ってみんないい。

そういわれてみんな育ってきたと思う。だから、多種多様な人間を受け入れながら生きてきた。僕もそうだし、多分ほとんどの人がそのはずだ。

僕は人に興味がある。
「この人は今何を考えて、発言をしたんだろう。言葉の背景にある感情はどんなものなんだろう。」
人間観察が趣味といってもいいだろう。

成長できる人の共通点

さて、本題だが、「成長できる人」ってどんな人だろう?
いろんな人と出会い、話をしてきた。いろんな性格の人がいた。
そして、どんな性格かに関係なく、「変われる人=成長できる」と「変われない人」がいた。

なぜだろう??

自己否定の罠

今のところ2つ自分なりの「答えに近い」ものを見つけている。

過去に自分自身のパーソナリティを大きく変えた経験がある。
そのため、「人は変われる」という前提に立って物事を考えられる。

②弱さも自分の一部だと受け入れる強さがある。決して自己否定しない。その分改善するための「具体的な行動」に意識を向けられる。

①は基本的なもの。スタンスの問題だ。そして、②は意識していない人も多いと思うが、僕は重要なポイントだと思う。

「私ってほんとだめだめ。」
「同じミスを繰り返して、俺って情けないなー」

自分のダメなところに気づいている、でもこれは本当の自分じゃない。
そういう意識が深層心理に隠れているような気がする。
自己否定をするだけで、何となく満足してしまっている。
だから、また同じことを繰り返して、自己否定してを繰り返す。
これでは、成長できないのではないか。

まずは、自分を許して、受け入れよう

以前この記事で、自分を許して、受け入れる能力「セルフコンパッション」について書いた。
「変われる、成長する」ためのスタートは「自己受容」から。
弱さを受け入れることは、強い証拠だ。弱いことではない。
弱いのは、弱さから目を背けることだ。目を背けつづけ、「学習性無力感を受け入れる」状態が当たり前になってしまっては手遅れだ。

健全な自己評価を持ち、前向きに変わり続ける人生、挑戦し続けるにんげんでありたい。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

「自分を知る」ことについて

自分を知ることってホントっに難しい。僕は、初めて就職活動を通して、徹底的に自分と向き合った。それまでも、自分自身について考える機会はあったにもかかわらず、「正確に」自分を把握できていなかった。
では、「正確」に自分を理解するとはどのようなことだろう?

「理想の自分」と「ありのままの自分」

良く起こりがちなこととして、「こうありたい、理想の自分」と「ありのままの、素の自分」をごちゃまぜにしてとらえてしまうことがある。あるいは、どちらか一方に偏った自己認知をしてしまうのだ。

例をあげてみよう。ある人は、「社交的な自分」を求めていたとしよう。その人は確かに「気心の知れた友人との間では」明るくふるまうことが出来る。「素の自分は、仲の良い人間関係の時に表れる自分だし、こっちの自分のほうが好き」という理由で、「自分は社交的だ」と本当に思い込んでしまう。でも、初対面の人との会話で緊張する自分も「本当に自分」ではないか。このように混在する自己像に惑わされ、その中で「こうありたい自分」を無意識のうちに「本当の自分」と解釈するケースは多いと思う。本人の心の中で「社交的」にふるまうことへの憧れが強い場合はなおさらこの傾向が強く出るような気がする。

素の自分と理想の自分を区別する

理想の自分は、こうありたい自分、好きな自分とも重なる。だから、絶対に否定してはいけない。「こんな自分になりたいのだな」と認めて、そっとしておく。とりあえず、心の片隅に置いておくイメージだ。
とりあえず、今の、リアルな自分を正確にとらえて、受け入れよう。そのためには、身近な友人や家族、その他の大人に客観的な意見を聞いてみよう。なるべくいろいろな大人の意見を聞いたほうが良い。自分自身も置かれた環境によって様々な役割を担っている。だから、他者が受ける印象も様々だ。その中で、共通する資質があったら、それこそがあなたを特徴づける強みだ。その特徴を活かして、その先の人生選択をしていくと良い。付け加えると、自分の特徴や強みを知るヒントは、「自分が一番イキイキしていた時のエピソード」に隠されていることが多い。だから、イキイキしていた時期に関わった人たちに「自分」について話を聞きに行くことは、ものすごく良い方法だと思う。

僕の場合は、上記の記事で明記した通り、典型的な「自己追求型」の人間だ。知的好奇心が強く、知識と知識や物事の背景要因と事象のつながりが見えたときにものすごくワクワクする。チームメンバーにも斬新な視点からの気づきを与える(みたいだ)。人と友好的な関係を築くことも得意(みたい)だ。
一方で要領が悪く、テキパキと仕事がこなせない。プレッシャーにも弱い。だから、強い期待と責任を感じると委縮する。さらに、人を頼るのも下手。威圧感が強い上司に管理されるとトコトンパフォーマンスが落ちる。

こうやって自分を掘り下げて考えていくことで、自分らしさを活かせる環境を選ぶことが出来る。それは、自己充実や人生の幸福観につながる。

これで終わりだと少し味気ない。だって、「ありのままの自分」が好きだとは限らないから。素の自分、ありのままの自分を受け入れて、自分の強みと特徴を把握したら、少しずつ「理想の自分」に向けて自分を成長させていこう。理想の自分に向けて自分を成長させることは、「自分は変われるんだ」という自信をつけることにつながる。これは、健全な自己評価には不可欠だ。

まずは、
現状の自分をしっかりと把握し、受け入れること
②同時に「理想の自分、好きな自分」も把握し、区別する
③「理想の自分」に向けて、少しずつ変わっていくことを意識する。


すぐには、自分は変われない。でも、長い時間をかければ大きく飛躍できる。健全な自己認知と自己評価で毎日を力強く歩んでいく人が増えたらなと思う。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

「仕事ができる」と「勉強ができる」の関連性について考えてみた

人的資本論シグナリング理論

人的資本論シグナリング理論という言葉がある。

人的資本論:大卒者は、学ぶことによって高卒者よりも人的資本が増大し、その分仕事で高いパフォーマンスが生み出せるという理論。そのため高卒者に比べ、高賃金が保証されるという理屈だ。

シグナリング理論:大卒者が4年間で人的資本を増やしたかどうかにかかわらず、大卒者ということが、入試を突破できる「チカラ」を持っていることの「シグナル」になるので、そのシグナルに基づいて雇う側は高賃金を設定するという理屈。ちまり、入試という競争に打ち勝ったという実績が、優秀さの根拠となっている。「大学全入時代」と言われる現代においては、「学歴」よりも「学校歴=偏差値」が参照されることが多い。

就職活動で社会人の方と話すことが多かったが、企業の採用担当者は「シグナリング理論」に基づいて、採用を行っている印象を受けた。実際、学校歴不問の採用ということで、大学名を聞かない採用活動を行った企業がある。1990年代初めのソニーだ。大学というシグナルに頼らずに採用活動を行った結果、内定者が圧倒的に有名大学に偏っていたという話がある。

やはり、偏差値を基準にする学校歴のシグナルは、「優秀さ」と強い相関があるみたいだ。

仕事ができるってどんな状態?

少し、話が逸れるが「仕事ができる人」とは一般的にどんな人を指しているのだろう?

僕は、準備力のある人だと思っている。そして、筋の良い準備力は、求められているアウトプットの基準を正確に把握し、逆算する能力に支えられている。

一部の天才と呼ばれる人がいたとする。その人は、カリスマ性や発想力を武器に世の中をあっと言わせるようなアウトプットを出すだろう。

だが、多くの人はそのようなスゴ技を求められない。求められる能力は、効率性と信頼性だと思う。要領よく、手際よく、物事を進められる人は頼れる。これが、身の回りにいる「デキル人」に共通する資質だ。

では、このような効率的で信頼できる人は何を意識しているのだろうか。それが、準備することだ。優先順位を意識し、準備する。優先順位をつけるためには、何が求められているかを正確に把握し、そこから逆算して準備する必要がある。

まとめると、「仕事ができる信頼出来て、手際が良い人」は
・しっかりと準備ができる。
・求められているアウトプットを正確に把握し、逆算することで、的確な優先順位付けをしている。
である。

ところで、勉強ができる人って?

ところで、勉強ができるタイプってどんな資質を持っている人達だろう?このことについても考えてみたい。
まず、勉強をしてテストで良い点数を取ったり、受験競争で勝ち抜いた人たちを見ていて、大きくタイプ分けできることに気が付いた。

①目的意識型:「○○大学合格」、「テストで〇点を取る」など目標を設定し。戦略的に勉強をするタイプ。

②自己追求型:好奇心に基づき勉強をする。場合によっては純粋な好奇心ではなく、「世界史ができる自分」や「帰国子女の自分」という自己イメージを守るために、とことん知識を深めたり、追求する。戦略性ではなくこだわりや好奇心に突き動かされている。

③ハイブリット型:①と②の2つの側面を合わせ持つ。

③のハイブリット型も一定数存在するが、①目的意識型もしくは②自己追求型がほとんどだろう。目的意識型はいわゆる「優等生」のイメージに近い。自己追求型は、ちょっと変わった人、研究者タイプのイメージだ。

仕事と勉強の関係について

ここまでの内容を整理して、勉強と仕事の関係について考えてみたい。

【仕事】
・しっかりと準備ができる。
・求められているアウトプットを正確に把握し、逆算することで、的確な優先順位付けをしている。
【勉強】
学校歴が高い←求められている能力、基準に対して、しっかりと準備することができた。

しっかりと求められていることを把握し、逆算して対策をするから、鮮烈な競争をくぐり抜け、合格、内定できる。そのような人は、誠実に仕事をこなすことが出来る可能性は高い。
しかし、ここで忘れないでおきたいことがある。学校歴が高い人の中には、前述した自己追求型の人材が含まれている。有名大学というシグナルを武器に、(運よく?)それなりの対策で、内定を勝ち取った人がいる。このような人は、要領よく仕事をこなすタイプではない場合が多い。いわゆる仕事が出来るタイプではない。

「あの人頭はいいけど、仕事はできないよね。」
「教養はあっても、仕事出来ないヤツ」

不幸にもこのようなネガティブなラベリングをされてしまう。

しかし、このような人は、置かれた環境・任される仕事内容によっては、爆発的な成果を出す。なぜなら、自己追求をとことんできる人材であるから。少々扱いにくい才能ではあるが、理解をしてくれる上司やメンターとの出会いによって、水を得た魚のような活躍をするはずだ。

いわゆる、「適材適所」が機能していないことが原因で、仕事を辞めていしまう「有名大学卒の仕事ができないというラベリングをされた、ポテンシャルのある人」はものすごく多い。

だからこそ面接や配属面談でその人の「肩書」ではなく、努力(今回の場合は勉強)のモチベーションや努力(勉強)のプロセスを見ることが大切だと思う。

終わりに

自己追求型の部下を抱える上司の方、自己追求型の人材は、「納得」にこだわります。本人のエンジンがかかる、やる気スイッチを押すようなサポートが必要です。そのヒントは過去の努力のプロセスにあります。
そして、職場でくすぶっている自己追求型のみなさま、自分自身の強みに目を向け、上司に伝えましょう。場合によっては仕事を変えることもあるかもしれません。でも、自分自身についてしっかりと理解さえできていれば、どこかに活躍の場はあります。

僕も、同じ自己追求型の人間です。頑張りましょう。




最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

自分を許すことの大切さ

以前、メンタリストのDaiGoさんが紹介されていた「完璧主義者は永遠に完璧にはならない」「完璧主義者は自分に厳しいがゆえに先送りをしがち」といった「完璧主義者の陥りがちな罠」の話を聞いて、ハッとさせられた。

「これ、全部自分も当てはまる・・・・」

何かうまくいかないとき、自分を責めることで現実から目をそらし、「自分はこんなはずじゃないんだ」と言い聞かせる。そして、次こそは「成功」するんだと言い聞かせ、ハードルを上げる。その結果、暗に「次こそ成功しなければ!」というプレッシャーを感じ、なかなか一歩を踏み出せない。そして先送りを繰り返し、また、焦り失敗をする。

そんな悪循環の根源にあったのは、「できない自分を認めたくない、許すことの出来ない自分」だった。そして、メンタリストのDaiGoさんはそんな自分さえも許すために、セルフ・コンパッションの能力を鍛える重要性を強調している。

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有能さを示すために失敗を避けていた

小学生くらいまでは、新しいことに対する好奇心が旺盛だった。チャレンジすることに対する恐れが今と比べて少なかった。
でも、精神的に成長するにつれ、周りと自分を過度に比べる習慣がついてくる。僕だけではなく、周りの友人もそうだった。多分、自分の親世代もそうやって育った人が多いのだろう。これはどう考えても不健全だ。自分の内面に目を向けず、周りからどう見られているかばかりを気にするようになってしまう。次第に、失敗しない選択を取るようになってくる

「無難」「あんぱい」という言葉を青春時代に何度使っただろう。
その根底にあったのは、周りから奇異の目で見られる「不安」だった。
「優秀」と思われたいという願望だった。
失敗さえしなければ、自分の「優秀さ」は守れる。
でも、本当は自分に自信がないから見せかけの「優秀さ」にこだわっていた。
自信があれば、自分で自分を認めていていれば、「失敗」は怖くない。
そして、失敗から学ぶことでさらに自分を好きになれる。

自分を許そう、童心を思い出そう

小さい頃は、失敗したらどうなるかなんて考えていなかった。
だから、安心して目の前の変化に夢中になることが出来た。
そして、目の前の夢中・没頭が幸せのヒントになる

自分を許せるから、安心して物事に取り組める。
余計なことは考えない。

トライ&エラーでより良いものを作っていける。
そうすれば、前述の「完璧主義者」よりも、完璧に近づけると思う。

失敗を避けて、自分を守るのではなく、自分を大切にするために失敗を恐れない。
そうやって、自分を少しずつ作っていきたい。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

負の感情をヒントにする

僕は、就職活動の前に「人生の目標」を見つけられなかった人間だ。必ずしも就職前に見つけなければならないものでもない。でも、見つけるための試行錯誤は経験するべきだと思う。

もし、あなたが学生だとしたら、自由な時間を活用して、積極的に今までかかわったことのない世界に飛び込んでほしい。今まで関わったことのない大人と出会ってほしい。留学、バックパッカーでもよい。インターンでもいいし、NPOの活動に参加するのも良い経験だろう。

上記の記事のなかで(その一部を引用して示している)、進むべき道を定めるために、自分が知らない世界に積極的に飛び込んでいこうという話をした。進むべき道、目標は、仮決めで良い。夢中になった、没頭した、やり切ったという経験が、その人を作っていく。
そして、没頭する分野でぶつかった不条理や現実に対して、その課題解決に向けて、尽力することがその人の使命なのではないかと思っている。いわゆる「負の感情」が、その人の進むべき道を示し、その人を突き動かす。


じゃあ、僕の場合はどうだったか。はっきり言って本当に情けない学生生活を過ごしていた。
サークル、ゼミ、留学という多くの学生が思いつく、大学生に人気の「イベント」にとりあえず参加していた。参加さえすれば自分の好きなことが、自然と見つかると思っていた。受け身の状態だったのである。いわゆる没頭とは遠く離れた状態であった。没頭とは、前のめりのスタンスが必要条件だと思うからだ。
受け身や中途半端な姿勢で活動をすることは、時間の浪費と変わらないと思う。
(少なくとも留学やゼミにおいては)自分から湧き出る思いがないと、コミュニティの中で自分が果たす役割が生じないと思うのだ。何でもそうだと思うのだが、主体的に関わる中で自分の適正や強みが見えてくる。僕の場合、後から振り返っても、そこに「自分」というものがない活動をしていたと思う。

実は、留学時のサウジアラビアの友人からの問いかけでハッとさせられた経験がある。

「なんで、お前は留学しているの?何のために英語を学んでいるの?」

そんな彼は、母国で歯科衛生士としてキャリアアップするという目標を掲げ、マスター(修士)の称号を得るために留学している。それに比べ、自分は、、、、という感情になった。自分は何を大切にしているのだろうという内面的な自分への意識はこの頃から強くなった。

そして、「自己内省」から多くの学び・気づきを得た。一番の学びは、「価値観に沿った行動」の大切さだ。自分は「何を大切にしているのであろう」「何に価値を置いているのだろう」ということだ。受け身になってしまうのにはそれなりの理由がある。周りに流されて、何となく過ごしてしまうのには理由がある。

僕は、大学進学の一番の動機になったゼミの選考に落ち、仕方なく関心のないゼミに入った。あまり深く考えず、ゼミに入らないと大学生っぽくないという理由だけで興味のないことに時間を費やし続けた。サークルも同様。みんなでワイワイするほうが心の虚無感を埋められたから。留学も根本の動機は、「入りたかったゼミに落選し、ヤケクソになったから」というネガティブな動機だった。(動機は不純だったが、留学に関しては自分の未熟さを痛感した良い機会になったと思っている。海外でも何とか生活していけるという自信もついた。経済的なサポートしてくれた親に感謝したい。)

いろいろ迷い、考えた末に一つの方向性が見えてきた。
「勉強を一生懸命頑張り、大学に進学したのに自分の人生を決められないのはやっぱりおかしい。そんな状態に陥っている若者は、自分だけじゃないはず。もっと、リアルな社会との接触を増やし、自分の進む道の選択肢を増やす教育を普及させたい。若者個人のためだけでなく、日本の未来のためにもなるはず。あくまで、『勉強』は手段だ」

これは、自分の実体験と負の感情からくる課題感だ。だからこそ、僕がこの問題に関わる意味がある。ある意味で使命・ミッションだといえる。

まとめ

・自分の価値観に忠実であることで、活動に主体性が生まれる
・自己内省で価値観と向き合おう
・負の感情があなたの使命・ミッションのヒントである


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

昨日、「目的」をもって生きることの大切さについて記事を書いた。
目的をもって生きると、ぶれない。そして、納得感を持って前に進むことが出来る。この納得感は、前を向いて進む時の馬力になる。プライドや誇りを持って生きていくことが出来る。

じゃあ、目的をもっていきるためには、どうすればいいか?ー行動するしかない。レールから外れるしかない。少しの興味・関心に耳を傾け、飛び込むしかない。


日本の教育システムのもとで育つとどうしても「皆と同じ行動をとること」を暗に求められしまう。行動することを自分から止めてしまう。まさに出る杭は打たれる、を体現している。

形骸化した規律に縛られたり、本質的ではない指導があったり。

でも、「あなたにしか出来ないこと」、「あなただけの個性」を社会は求めてくる。「あなたはどうしたいのか」を問われる。これに対して答えを提示できる人間でなければならない。
いままでは、「正解」を与えられていた。その与えられた正解にたどり着くように工夫すればよかった。

でも、それをリアルで実践したら、予定調和のつまらない人生になってしまう。

自分の中の「あ、いいな」に従って、動いてみよう。
リアルな世界の不条理や現実を肌で感じよう。
悔しさ、やるせなさをかみしめよう。

それがあなたの進むべき道しるべとなるはず。

モヤモヤを抱えている人へ

人生の目標

今モヤモヤを抱えているとしたら、原因は何だろう?
「楽しみ」がないから?「お金」がないから?「友達」が少ないから?
「彼氏・彼女」がいないから?

僕は、上記の全てが満たされてもモヤモヤは消えないと思っている。
逆に、上記の全てが不十分であっても、ただ一つ存在するだけで、人生に彩を与えるものが存在すると思っている。

それは、「人生の目標」だ。
ー実現したい何かがあれば、目標の途中で喜怒哀楽を感じ、生きている実感を与える。何となく過ごしていると心が不感症になり、自分が底なし草のように感じるようになる。

「人生の目標」に大きいも小さいもない。ただ、社会との関わりは大切だと思う。人は「他の誰かから必要とされている、誰かのためになることに強いモチベーションを感じる。だから、目標にも一定の社会性は必要だ。その目標達成の途上で自分の存在意義や人生の意義を認識する。そのプロセスの中で喜怒哀楽と社会的役割を自認し、イキイキと生きていけるのだと思う。

目標がないのなら

僕は、就職活動の前に「人生の目標」を見つけられなかった人間だ。必ずしも就職前に見つけなければならないものでもない。でも、見つけるための試行錯誤は経験するべきだと思う。残念ながら、多くの大学生は、その試行錯誤をせずに就職していく。大人が喜びそうなESを書き、言葉を発して面接をくぐり抜けていく。でも、そのような人の一部は、20代後半になってクォーター・ライフ・クライシスに苛まれる。流されながら人生を過ごしていることとそういった選択をしてきた自分に後悔するのだ。(もちろん、皆がそうなのではない。)

もし、あなたが学生だとしたら、自由な時間を活用して、積極的に今までかかわったことのない世界に飛び込んでほしい。今まで関わったことのない大人と出会ってほしい。留学、バックパッカーでもよい。インターンでもいいし、NPOの活動に参加するのも良い経験だろう。

SNSが発達し、便利な世の中になったが、そのぶん綺麗な誘い文句が流布しやすくなったのも事実だ。だからこそ、「本当」を探しに行こう。リアルな経験を通じて、現場の不条理に憤りを感じること多々あると思う。でも、その不条理を何とかしたいという気持ちが、あなたの人生の目標だと思う。あなたが果たさなくてはいけない使命だと思う。
なぜなら、具体的なあなたの経験に対して反応した自然な感情なのだから。そこに嘘や偽りはない。

幸せ=自己コントロール感覚+豊かな人間関係

自分の感情に正直に、目標を持っている人、強い意志を持って行動している人には引き付けられる。そういった人を人間は信頼するし、尊敬をする。

僕は、自分の人生を自分で切り開いている感覚、コントロールしているという感覚と豊かな人間関係が幸せの基本だと思っている。

そう考えると自分の気持ちに正直になって、目標を持って生きていくということは回りまわって幸せの基本的な条件までも満たしてくれるのかもしれないと思った。

モヤモヤを抱えている人にとって一歩を踏み出すことはとても難しいし、大変だと思う。個人的には「自分は変われるんだ」という認識が一歩を踏み出す後押しになるのでは、と考えている。


次回は、一歩を踏み出す具体的な方法論を僕の体験を交えて紹介出来たらと思います。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。