LOHAS

「自分に自信がなかった人」が「自分に自信がない人」に向けて発信します。 ■就活■自分探しではなく、自分づくり■心理学/教育■おすすめ本紹介 4月から働きます。

次世代の職業観を証明したい

何のために働くのだろうか。

人は何のために働くのだろう。それに対する答えは人それぞれだと思う。でも、各世代によってこの問いに対する答えの傾向はかわってくるようだ。

以前、「モチベーション革命」という本を読んで、印象に残った筆者の主張がある。今の若い世代(30代前後以下)は、「人間関係」や「意味づけ」「没頭」を重要視する、というものだ。これはもちろん仕事に対する考え方にも当てはまる。経済的な面での達成や快楽への欲求よりも、自分らしさやささやかな幸せを大切にしたいという友人が僕の周りにも多い。
今回は自分らしさ(=アイデンティティ)と仕事について考えたいと思っている。

自分らしさの渇望

自分らしさの渇望」は、時代の影響が大きいのではないか、と個人的に思っている。僕たち若い世代は物質的に豊かで成熟した社会で、青年期を過ごしてきた。一方で停滞感が漂う世の中の雰囲気を肌で感じてもいた。バブル世代以前の大人が感じていた将来に対する期待感などはなく、どこかしら将来に対して不安を感じていたと思う。
会社や社会に忠実にいても、幸せは保証されない。物質的に満たされても、どこかしらに虚無感を抱えている大人を見ていると、自分にとっての本当の幸せをどうしても考えてしまう。

社会は、停滞した現状を打破する強烈な個性を求める。幻想の自分らしさを求め、自己分析をする。また、SNSの発達により、自分を表現し、印象付けたいという強迫観念に近い欲求も絶えずちらつく。

「自分は何を求めているのだろう」「自分は一体何者なのだろう」と考えることはものすごく大切だ。ただそれが、自分の主観的な視点に偏ったり、他者からの視線を気にしすぎ、自分らしさを「演出」することに終始しては意味がない。残念ながら、多くの人は「自分らしさの追求」のバランスを崩してしまっているように感じる。

なぜ、自分探しをこじらせてしまうのだろう

まず、日本社会を支えてきた大人が正しく「自分らしさ」に向き合う方法を知らない。ただひたすら、経済の発展のためにがむしゃらに働いてきた。男性はモーレツサラリーマン、女性は若くして結婚をして、子育てに専念をするという役割期待を背負った。そこには、個性もへったくれもなかったはずだ。
しかしながら社会が成熟すると、モラトリアムの時間を享受した子供たちは自分探しを始める。しかし、社会から隔離された学校という世界で過ごし、リアルな社会との接触がないと、これから果たすべき自分の「社会的な役割」を十分にイメージ出来ない
もちろん上の世代も正解を知らない。モチベーションも置かれた社会状況さえも違うのだから。だからこそ、いびつな形での自分らしさの追求が起こってしまう。ありもしない現実離れをした「理想の自己像」を求め、さまよってしまう現象はこれに起因するのではないか。
大人は自分探しを諦め、現実を受け入れる。そして、若い人に「現実は甘くない」と言い放つ。(このことに下記の記事で詳しく話しています。もしよろしければ、読んでみて下さい。)

社会が豊かになり、意味への渇望が生まれることは自然なことである。混沌とする社会経済を生き抜いていくために、若い世代は自分達なりに前を向こうとしている。しかし、自分らしさやアイデンティティは自己との対話だけで見つかるものではない。意識を高く持っている人たちは、学生の時期をうまく活用し、積極的にリアルな社会との接触を図っている。そうして、一部の若者は「本当の自分らしさ」(=自分を特徴づける強み)を活かした、理想的な職業選択をしていく。

仕事を通してアイデンティティを実感する喜び

客観的な自分の強み・弱い部分を把握して、強みを活かして社会に貢献しているという実感を持っている人は幸福感が高い。自分を特徴づける強みを活かして社会貢献している人は、人生に対する「納得度合い」が高いアイデンティティは強化され、社会に対する帰属意識・貢献意識が高まり、更に自己評価が高まるというポジティブな循環が生まれる。

しかし、社会一般の職業に対する意識はあまり変わっていないのが現状だ。だから、ぼくは、その「常識」を変えていく変化の一助となりたい。

・仕事を通じて強みを発揮することで、人とその集合体である多くの組織が自己効力感を感じている
・各人が社会とのつながりの中で自分にとっての本当の幸せを明確に持っている

そんな社会の実現に向けて自分のできることを増やしていきたいと、思いを改めました。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。